時系列データ分析のためのTransformerベースの基盤モデル

近年、Transformerモデルは自然言語処理(NLP)分野で目覚ましい成果を上げてきましたが、その革新的なアーキテクチャは時系列データ分析においても新たな可能性を切り拓いています。

本記事では、このTransformerモデルを基盤とした時系列データ分析の最新アプローチについて解説します。特に、大規模なデータセットで事前学習された基盤モデルを活用することで、従来の手法では困難であった複雑な時間依存性やパターンを捉え、予測、異常検知、分類といった様々なタスクにおいて驚異的な能力を発揮する技術の概要とその実用性に焦点を当てます。

さらに、これらの最先端技術が、機械学習モデル開発の現場で直面する課題をどのように解決し、より効率的で高性能なモデル構築に貢献できるかを具体的に考察していきます。Transformerベースの基盤モデルは、時系列データ分析の未来を形作る上で極めて重要な役割を担うと考えられます。

時系列データ分析の背景

時系列データの重要性と応用分野

時系列データは、現代のデータ分析において極めて重要な要素であり、多岐にわたる分野で一般的に見られます。

応用分野:

  • 金融: 株価予測や市場の異常検知
  • 医療: 患者のバイタルサイン監視による病状の早期発見、感染症の発生予測
  • 気象学: 気象パターンや気候変動の予測
  • 経済学: インフレやGDP成長率などの主要指標の予測
  • エネルギー: 需要予測と資源配分の最適化
  • 物流・小売: 在庫レベルの予測、サプライチェーンの効率向上、需要予測、顧客行動分析
  • 通信: ネットワークトラフィック分析や予知保全
  • 製造業: 生産スケジュールの最適化、機械の状態監視
  • 運輸業: 交通パターンの予測、車両管理の最適化
  • その他: IoT、産業プロセス、ソーシャルメディアモニタリング、センサーネットワーク

時系列データ分析の重要性は、時間的な依存関係とトレンドを捉える能力にあり、補完、分類から予測、異常検知まで、幅広いタスクにとって不可欠です。

従来の時系列分析手法

従来、時系列データ分析は主に統計的手法に大きく依存していました。

主な手法:

  • 移動平均(MA): データを平滑化して根底のトレンドを特定する方法
  • 指数平滑化: 最近の観測値に大きな重みを置く手法
  • 自己回帰移動平均(ARIMA)モデル: 自己回帰(AR)成分と移動平均(MA)成分を組み合わせ、時間依存の構造をモデル化
  • 季節調整とトレンド分解(STL): 時系列をトレンド、季節性、残差成分に分解する手法

しかし、これらの従来モデルは、データが定常性を持つ、または均等な間隔で記録されているといった特定の仮定の下で機能することが多く、多くの実用的なシナリオでは制約となる可能性があります。時間構造がより複雑な場合や、データ点が均等な間隔で記録されていない場合(センサーデータや取引時間の不規則な株式市場データなど)には、伝統的なモデルは最適な結果を提供できないことがあります。このような限界から、これらの複雑さに効果的に対処できるより高度な手法の必要性が高まってきました。

図1. 5分足でのApple Inc. (AAPL)の日中の価格変動を示しており、15期間の単純移動平均(SMA)と15期間の指数移動平均(EMA)という2種類の移動平均が組み込まれています。これらの指標は、テクニカル分析において価格データを平滑化し、潜在的なトレンドを特定するためによく使用されます。

ニューラルネットワークアプローチの台頭

これらの限界に対応するため、特にリカレントニューラルネットワーク(RNN)および畳み込みニューラルネットワーク(CNN)を中心とするニューラルネットワークが、時系列モデリングの強力な代替手段として登場しました。

ニューラルネットワークの利点:

  • 生の入力から直接、データの階層的な表現を学習する能力
  • 広範な特徴エンジニアリングの必要性を排除
  • 「エンドツーエンド」の学習アプローチによりデータの根底にある構造を自動的に捉える

RNNとその課題

1980年代にRumelhartらによって導入されたRNNは、シーケンシャルデータを処理するために設計されており、シーケンス内の以前の入力に関する情報を捉える隠れ状態を維持します。各タイムステップにおいて、RNNは現在の入力と以前の状態の両方に基づいて隠れ状態を更新し、データ内の時間的な関係性をモデル化することを可能にします。

しかし、理論的な利点にもかかわらず、従来のRNNはいくつかの重大な制約、特に勾配消失問題に直面しています。時間を通じて逆伝播(BPTT)を介してRNNをトレーニングする際、勾配は長いシーケンスを遡るにつれて非常に小さくなる可能性があります。これにより、モデルは長期的な依存関係の学習に苦労し、特にイベント間の関係が多くのタイムステップによって隔てられているシーケンスでは困難になります。

LSTMとGRUの登場

基本的なRNNの欠点に対処するために、1997年にHochreiterとSchmidhuberによってLong Short-Term Memory(LSTM)ネットワークが導入されました。

LSTMの特徴:

  • 記憶セルと情報の流れを制御するゲート機構を組み込み
  • 入力ゲート、出力ゲート、忘却ゲートの3つの主要なゲートを使用
  • 各タイムステップで情報を選択的に記憶または忘却
  • 長期的な依存関係をより効果的に捉える能力

同様に、2014年にChoらによって導入されたGated Recurrent Units(GRU)は、LSTMの簡略化された変形です。

GRUの特徴:

  • 情報の流れを管理するために2つのゲート(リセットゲートと更新ゲート)を使用
  • 計算効率が高く、必要なパラメータが少ない

LSTMとGRUの両方が、株価予測、エネルギー需要予測、センサーネットワークの異常検知など、多くの時系列アプリケーションにおいて従来のRNNよりも優れた性能を発揮することが証明されています。

RNNベースモデルの限界

LSTMやGRUを含むRNNベースのアーキテクチャは、大規模な時系列データを処理する際のスケーラビリティと効率において、依然としていくつかの重大な課題に直面しています。

主な課題:

  • 大規模なデータセットでのトレーニングには、かなりのメモリと計算リソースが必要
  • 逐次処理のため、長いシーケンスや大量のデータ処理に膨大な時間と計算能力を要する
  • リアルタイムまたはリソースが限られた環境では重大なボトルネックとなる
  • 小さなデータセットでトレーニングすると過学習を起こしやすい
  • LSTMやGRUの多数のパラメータは過学習のリスクを高め、汎化性能が低下する可能性がある

Transformerモデルの登場

このような背景から、従来の時系列分析手法やRNNベースのモデルの限界を克服し、より複雑な時間依存性や大規模なデータセットに効果的に対応できる新しいアプローチの必要性が高まっていました。

2017年にVaswaniらによって導入されたTransformerモデルは、シーケンスモデリングにおける主要なパラダイムシフトをもたらしました。もともと自然言語処理(NLP)タスクのために開発されたTransformerは、リカレンスを必要とせずに、シーケンス内の要素間の依存関係を捉えるための新しい自己注意メカニズムに依存しています。

Transformerの利点:

  • RNNとは異なり、シーケンス内のすべての要素を同時に処理
  • より効率的な並列化とより高速なトレーニング時間を実現
  • 自己注意メカニズムにより、入力シーケンスのさまざまな部分に動的に焦点を当てる
  • データの広い範囲にわたる長距離の依存関係を捉える能力

このTransformerモデルの登場が、時系列データ分析の分野においても革新的な進展をもたらすことになります。

図2. Transformer モデル

時系列データ分析の基盤モデル

基盤モデルの定義と意義

基盤モデルとは、大規模なデータセットで事前学習を行い、その結果として得られる汎用的な表現を、特定のタスクに対してファインチューニングすることで活用する能力を特徴とします。自然言語処理(NLP)の分野におけるLlama、BERT、GPTなどのモデルの成功を受けて、この基盤モデルのパラダイムは時系列データ分析にも拡張されつつあります。

時系列データの固有特性

時系列データは、他の形式のデータとは異なる固有の特性を持ちます。

主な特性:

  • 時間的な順序性
  • 季節性やトレンド
  • 複数の変数が相互に影響し合う多変量性
  • 不規則なサンプリングや欠損
  • ノイズや非定常性
  • 長期にわたるシーケンスにおける高次元性

これらの特性は、従来の統計的手法や初期のニューラルネットワークモデルにとって大きな課題となっていました。

Transformerモデルの革新性

このような背景のもと、Transformerモデルの登場は、時系列データ分析においても新たな可能性を開きました。

Transformerモデルの主な利点:

  • 自己注意機構によるシーケンス内の要素間の長距離依存関係の捕捉
  • RNNやLSTMが抱えていた勾配消失問題や長期記憶の制約の克服
  • 並列処理が可能であるため、大規模な時系列データセットに対しても効率的な学習を実現
図3. Transformerモデルにおける注意機構

時系列基盤モデルの目的

時系列データ分析における基盤モデルは、Transformerの利点を活かし、多様な時系列データセットで汎用的な時間的表現を学習することを目的としています。事前学習によって、季節性、トレンド、周期性、変数間の相互作用といった、時系列データに共通するパターンを捉えることができます。これにより、下流の特定のタスク(予測、異常検知、分類、補完など)において、より少ないデータで高い性能を発揮することが期待されます。

代表的なTransformerベース時系列基盤モデル

Transformerベースの時系列基盤モデルには、様々なアーキテクチャや学習戦略が提案されています。

  • Time Series Transformer (TST):
    • 標準的なTransformerアーキテクチャを時系列データに適応
    • 時間的な位置エンコーディングや注意機構を活用し、長期依存性を捉える
    • 産業センサーの異常検知からエネルギーシステムの予測まで幅広く応用可能
  • Informer:
    • 長い時系列データにおけるスケーラビリティの課題に対処
    • スパースな自己注意機構で計算コストを削減しつつ、長距離の依存関係をモデル化
    • 大規模データセットでの事前学習により、予測タスクにおいて強力な基盤を形成
  • PatchTST:
    • Vision Transformerのアイデアを取り入れ、時系列データを重複しないパッチに分割
    • 階層的な注意機構を用いて処理し、局所的パターンとグローバルな依存性の両方を捉える
    • 多変量時系列データに適している
  • ETSFormer:
    • 伝統的な指数平滑法とTransformerアーキテクチャを統合
    • ドメイン知識を注意機構に組み込むことで、予測の解釈性と精度を向上
  • TimeBERT:
    • NLPにおけるBERTモデルに着想を得てマスクされた時間ステップ予測を採用
    • 時間的依存性のロバストな表現を学習し、多様な下流タスクに活用可能
  • その他のモデル: Autoformer、MOIRAI、TimeGPTなど、様々なTransformerベースの基盤モデルが研究開発されている
ModelArchitectureUnivariate/MultivariateParametersDataPatchLossProbabilistic
Tiny Time MixersNon-TransformerBoth1M1BYesMSENo
Timer-XLDecoderBothUnknown1BYesMSENo
Time-MoEDecoderBoth2.4B309BNoHuberNo
TotoDecoderBoth103M1TYesNeg Log-likelihoodYes
TimeGPTEncoder-DecoderUnivariateUnknown100BNoUnknownNo
ChronosEncoder-DecoderUnivariate8M, 46M, 201M, 710M84BNoCross EntropyYes
MOMENTEncoderUnivariate40M, 125M, 385M1.13BYesMSENo
MOIRAIEncoderBoth14M, 91M, 311M27BYesLog-likelihoodYes
AutoTimesLLMBothGPT-2, OPT-350M, LLaMA-7BSame as LLMYesMSENo
TimerDecoderUnivariate29M, 50M, 67M28BYesMSENo
TimesFMDecoderUnivariate200M100BYesMSENo
Lag-LlamaDecoderUnivariate200M352MNoNeg Log-likelihoodYes
LLMTimeLLMUnivariateLlama 70B, GPT-3/4Same as LLMNoUnknownYes
Time-LLMLLMBothLlama-1 70B, GPT-3Same as LLMYesMSENo
FPTLLMUnivariateGPT-2: BERT, BEiTSame as LLMYesMSENo
表1. 様々な時系列データ分析向けの基盤モデル

Transformerベース基盤モデルの利点

これらのTransformerベースの基盤モデルは、従来の時系列分析手法やRNNベースのモデルと比較して、以下のような利点をもたらします:

  • 複雑な時間的依存性の捕捉:
    • 注意機構により、長期的な季節性、トレンド、不規則なパターンなど、複雑な時間的ダイナミクスを効果的にモデル化
  • 大規模データへのスケーラビリティ:
    • 並列処理能力により、数百万、数億といった大規模な時系列データセットの学習を効率的に実行
  • 多変量データの自然な取り扱い:
    • 複数の時系列変数を同時に処理し、それらの間の相互作用を考慮した分析が可能
  • ロバスト性と汎化性能の向上:
    • 大規模で多様なデータセットでの事前学習により、未知のデータや新しいドメインに対しても高い汎化性能を発揮
  • 低データタスクでの性能向上:
    • 事前学習済みの表現を活用することで、ラベル付きデータが限られた状況でも、高い精度でタスクを実行
  • ドメイン間の知識転移:
    • 様々な種類のデータセットで学習された基盤モデルは、異なるドメイン間で知識を共有し、新たな分野への応用を促進

Transformerベースの時系列基盤モデルは、時系列データ分析の分野において、予測精度、スケーラビリティ、汎用性を大きく向上させる可能性を秘めており、今後の研究開発と実応用がますます期待されています。

基盤モデルの実用例

Transformerベースの時系列データ分析向け基盤モデルは、多様な実世界の課題に対してその強力な表現学習能力と汎化性能を発揮し始めています。大規模なデータで事前学習されたこれらのモデルは、個別のタスク向けに一からモデルを構築する従来の手法と比較して、開発コストを削減し、より少ないデータで高い精度を実現する可能性を秘めています。

図4. 時系列基盤モデルの応用

需要予測

小売業における製品の売上予測や、エネルギー分野における電力需要の予測は、経済活動や資源配分に直接影響を与える重要なタスクです。

  • Transformerベースの基盤モデルは自己注意機構によって、従来のモデルでは捉えきれなかった複雑な季節変動やトレンド、イベントの影響などを効果的に捉えることができます
  • 広範囲の製品データや地域データで事前学習されたモデルを、特定の製品や地域における予測タスクにファインチューニングすることで、より正確な予測が可能になります
  • TimeGPTやAutoformerなどは、スケーラビリティと効率性を最適化しており、高次元な時系列データに対しても有効です

異常検知

製造業における機械の故障予知や、金融取引における不正検知など、異常の早期発見は損失の低減や安全性の向上に不可欠です。

  • Transformerベースの基盤モデルは、正常な時系列パターンの複雑な表現を学習できるため、わずかな逸脱も高精度に検出することが期待されます
  • 多様な産業機械のセンサーデータで事前学習されたモデルを、特定の機械のデータでファインチューニングすることで、早期の故障兆候を捉えることができます
  • Anomaly Transformerなどは、Transformerの能力を活かして時系列データの異常を検出する研究が進んでいます

時系列分類

ヘルスケア分野における心電図の異常分類や、IoTデバイスからのセンサーデータを用いた活動認識など、時系列データのパターン認識は多くの応用を持ちます。

  • Transformerベースの基盤モデルは、時間的な特徴と変数間の関係性を同時に学習できるため、高精度な分類を実現できます
  • 異なる患者の生理学的データで事前学習されたモデルを、特定の疾患の診断にファインチューニングするなどの応用が考えられます
  • TS-TCCのように、クラスタリングと分類の両方に対応したモデルも開発されています

欠損値補完

センサーネットワークにおけるデータ欠損の修復や、不規則なサンプリングが行われたデータの分析において、欠損値の正確な補完は重要です。

  • Transformerベースのモデルは、周囲のデータとの依存関係を学習できるため、時間的な整合性の高い補完が可能です
  • 多数のセンサーからの時系列データで事前学習されたモデルを、特定のセンサーの欠損値補完に利用することができます
  • TimeTransformerなどは、自己注意機構を用いて効果的に欠損値を補完する手法を提案しています

その他の応用

Transformerベースの基盤モデルは、他にも多くの時系列分析タスクに応用できる可能性を秘めています。

  • 変化点検出によるシステムの異常な変化の特定
  • 時系列クラスタリングによる類似したパターンの発見
  • 異なるドメインのデータで学習した知識を、データが少ない新しいドメインに応用する知識転移の能力

これらの実例は、Transformerベースの時系列データ分析向け基盤モデルが、様々な産業やアプリケーションにおいて、より高度な時系列分析を実現するための基盤となる可能性を示唆しています。今後の研究開発により、その適用範囲はさらに広がることが期待されます。

おわりに

本稿では、時系列データ分析におけるTransformerベースの基盤モデルの現状と展望について概観しました。自然言語処理分野で目覚ましい成果を上げたTransformerは、その自己注意機構による長距離依存性の捕捉や並列処理による高いスケーラビリティといった特性を活かし、時系列分析においても予測、異常検知、分類、補完など多岐にわたるタスクでその可能性を示しています。

特に、大規模なデータセットでの事前学習を通じて獲得される汎用的な時間的表現は、個別のタスクに対するファインチューニングを効率化し、少ないデータでも高い性能を発揮することが期待されます。今回紹介した多様なモデルは、それぞれ異なるアーキテクチャと学習戦略を採用しており、時系列データの固有の課題に対応するための進化を続けています。

しかしながら、Transformerベースの時系列基盤モデルはまだ発展途上にあり、長期依存性のより効果的なモデリング、計算効率の向上、モデルの解釈性の向上、そして多様なドメインへの汎化性能の確立など、克服すべき課題も存在します。

今後の研究開発においては、より大規模なデータセットと多様なタスクでの事前学習、スケーラブルなアーキテクチャの探求、そしてドメイン知識の統合などが重要になると考えられます。Transformerベースの基盤モデルが、より高度で実用的な時系列分析を実現するための鍵となることは間違いなく、その進化と応用がますます加速していくことが期待されます。

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